あの日のこと


昨日、1月17日は阪神淡路大震災の日だった。

あれから8年の月日が経ち、
記憶はどんどん風化し、遠い日の出来事となっていく。

京都府南部に位置する我が家では
皿が何枚か割れ、外壁にひびが入ったぐらいの被害ですんだ。

それでも、あの時の揺れは本当にすごかった。

私が目覚めて真っ先にした事は
「ユキ?ユキちゃん!」
と一緒の部屋で寝ていた愛犬を呼び、
犬も慌てて駆け寄ってきたので
抱きかかえて、布団の中にもぐりこんだ。

いつまでも続く激しい揺れ。
時間にすれば2〜3分の事だったのだろうけど
ひどく長く感じられた。

とりあえず、揺れが治まったので隣の姉の部屋に行き
一緒にテレビの地震速報を見た。

その時点では、まだ神戸の事なんて、ちっとも出ていなかったのである。
まさか、あんな大惨事になっていようとは思ってもみなかった。

その日は就職の事で、どうしても学校へ行く用事があったのだが、
四条まで出たところで阪急電車がストップ。

仕方なく学校へ電話をかけると
それがなかなか繋がらない。

何度かかけると、やっと繋がったが、
就職課の番号にかけたはずが守衛室に繋がる。
どうやら混線していたようだ。

私自身に全く被害はなかったものの、
何やらエライ事になっているらしい…
という実感が湧いてきた。


家に帰ってテレビを付けると、
そこに映し出されていた映像は廃墟と化した燃え続ける街。
倒れた高速道路。
まるで戦争映画をみているかのようだった。

親戚に神戸の長田に住んでいる人がいたのだが、
なんとか京都の方へ避難してきた。

彼らはしばらくの間、
夜寝る時でも枕元に靴を置いていた。


短大の先生にも神戸に住んでいる人がいた。
その先生の授業は休講になったが
いつものように素直に喜ぶことはできなかった。


あれからしばらくの間、
私も避難グッズを部屋に置いていたのである。
リュックに缶詰や筆記用具、軍手などを入れたりして。

それも、いつの間にか辞めてしまった…
喉元過ぎれば熱さを忘れてしまう。

それでもこの時期になると、
忘れてはいけないと思うのだ。

あの地震では6433人もの方が亡くなられた。

その方たちの御冥福をお祈りしつつ、
これ以上、自分の中での記憶を風化させない為、
こうして文章にさせて頂きました。




(2003.1.18)


おバカエッセイTOP






inserted by FC2 system